さて千葉寺の昔話・伝承は3回目に入りました。いままでは、古刹(こさつ)千葉寺と桜の樹の意味深な伝説や、境内の徹底的な探検から、昔の院号の文字 を石碑の中に探したりと、今までの歴史の本にあまり書かれていない内容を、さぐってきました が、まだまだ、お話はいくつもあって興味がつきません。今回は、千葉寺の「戻りがね」という、珍しいお話で す。

千葉寺(せんようじ)に伝わるお話。 その3.

「戻りがね」のお話。

このお話は、[房総の伝説」をはじめ、郷土の民話の本に出てくるので、知っている 方も多いかもしれませんね。しかし、どの本もほとんど同じ内容の文になっているので、 きっと最初に書いた方の文が、次々と書き写されて伝えられているのでしょう。

要約 するとこんなお話です…「昔、千葉寺に弘長元(1261)年、という銘(めい)の ある梵鐘(ぼんしょう)が、あった。時はいつのことかわからないが、この鐘が古く なったので、改鋳(かいちゅう)しようと時の住職は、鐘をはるばる寒川浦<昔の表 記では寒河浦(さんがうら)>から海路、江戸の鋳物師のところにおくった。ところ が! 夜遅く、鋳物師の仕事場に置かれていた、この鐘が、突然鳴り出した。その音に耳を 傾けてみると 、不思議なことに「ちばでらー、ちばでらー」と聞こえる。鋳物師はなんだか不気味 に思えてきて、この鐘を改鋳することをためらってしまい、江戸から再び、千葉寺の住職のもとへ戻したという」…こんな伝承です。

この話を分析してみると、鐘が江戸に行くことを拒否している話を利用して、何か、大切なことを言おうとしていると考えられます。すなわち、鐘というのは本来、どんな意味があるのでしょう。

例えば八千代市の「おしどり寺(鴨鴛寺)」のことを江戸時代の『葛飾記』の記述を参考にして引用すると「昔、このあたりに臼井殿という殺 生好きな≪猟をして鳥などを射ることが好き》な領主がいて、あるとき阿蘇沼でおし どりを射止めたが、そばによってみるとおしどりではなく、自分の子供であった。 なんということをしてしまったのだろうと臼井殿は嘆き悲しんだ。その夜、夢枕にお しどりが現れ、それが次第にわが子の姿に変わった。そしてこんなことを言った《僕 を成仏させたいと思うなら、釈迦堂を建ててください。そして傍らに鐘をかけてください》…臼井殿は、わが子の言葉どおり釣鐘を鋳させて冥福を祈ったところ、なんと 一夜、大地が振動し沼が沈み、梵鐘も深く沈んでしまい、取り出すにも取り出せない。だから今でもこの寺には鐘がない」…こんな話である。鐘はないのではなく、この土地を守るために地中に今もあると言うことがいいたいのでしょう。

つまり鐘は、 いわばその土地から離れてはいけない、と言っているのです。なぜなら八千代市の場 合、この鐘はいわば臼井殿のお子さんが土地の[生贄]になり下総国を護っていると 考えられるからです。千葉寺の鐘も、昔は、土地のために犠牲や生贄になった人の魂 がこめられているだけに、簡単に他の土地へ移してはならないと戒めているのかもし れませんね。梵鐘の音色は、土地の人柱(生贄になった人)の泣き声だともいわれま す。西洋では有名な「ミレーユの鐘」があり、今でもその音色は鐘を鋳る時に生贄に なった少女ミレーユの声だと言い伝えられている話は有名です。